こんな時に何を口にしたらいいのかわからず、ただ狼狽えている珠恵の身体に、不意にゾクリとした感覚が走った。パジャマ代わりに着ていた部屋着の下に、いつのまにか潜り込んだ風太の指が少しずつ肌を上へとなぞり始めている。
「っふ、うた、さ……あのっ、ま……待って下さ」
「身体、辛えか?」
途中で手を止めた風太が、微かに眉根を寄せ確かめるように珠恵を見つめた。こんな風に珠恵の体調を気遣う風太は、嫌だと言えばきっと、この熱を抑え込んでしまうのだろう。
答えを待つために止まった手のひらの熱さを肌に感じながら、羞恥心を押し殺すように瞬きを繰り返して、珠恵はその瞳を見つめ返した。
「だって、あの……家の人が」
拒みたくない、それどころかもっと風太を感じたいと確かに思う自分がいて、けれど同じくらい、逃げ出したい程恥ずかしい気持ちもある。それらが頭の中でせめぎ合っている状態で、しかもひとつ屋根の下に親方や喜世子、それに愛華がいるのだ。そう思うと、やはり駄目だと思う理性もまだ珠恵の中に残っていた。
珠恵が言わんとすることを理解したのか、風太が少し視線を下げて、息を吐く。
「ここは、ちょうど離れみたいになってっから……そこまで気にすることはねえ」
「……でも」
「……嫌か?」
服の中に入り込んだ手が握り締められて、スッとそこから抜けていく。急に何かを失くしたような感じがして、珠恵は思わず「あのっ」と、声を上げてしまっていた。
けれど、それ以上何も言葉が続かない。答えを乞うように見下ろす瞳からは、求められていることが伝わってくる。迷い揺れ動く珠恵の気持を確かめるような表情から、やがてふっと力が抜けて、微かに笑みを浮かべた風太の指先が、強張った頬をそっと撫でた。
「いい。やっぱ……無理すんな」
大きく溜息をひとつ落とした風太の身体が離れそうになった瞬間、珠恵は咄嗟にその腕を握り締めていた。珠恵へと視線を戻した風太の目が、戸惑いを含んで軽く見開かれる。がっしりとした風太の腕を、引き止めるように握り締めた自分の手を見つめて。指を少しずつ動かした珠恵は、袖口から覗いた小さな花びらにそっと触れた。
その瞬間、珠恵の胸の内に湧き上がった感情は、自分でも上手く説明がつかないもので。ゆっくりと振り仰いだ視線の先で、珠恵を見つめているその人の瞳を見つめ返した。
今日の昼間、風太が仕事に出ている間に皆から聞いた話。珠恵に関わる人達が与えてくれた思い遣りや優しさ。そして、どれだけ自分が風太に大切にされているのかを教えてくれた、たくさんの言葉。
風太と出会い、気付かされたことや初めて知ったことがたくさんある。それら全てを与えてくれたのは、目の前にいるこの人だった。
「さくら……」
「え?」
「風太さんの、桜……見たいです」
「……珠、恵?」
気付けば、そんなことを呟いていた。ぼんやりと視界が滲むのを感じて、瞬きをする。
「あ……れ」
「や、だから、無理すんな」
やはり戸惑ったような風太の言葉に、珠恵は慌てて首を振った。
「違っ、無理じゃ……わたし、あの……勝手に、涙が」
眉根を寄せた風太の顔を見つめながら、もう一度首を横に振る。僅かに安堵したような溜息を零して、伸ばされた指の先が、流れ落ちた涙をそっと拭う。
「なら……いいか?」
目尻から頬を辿った指が、珠恵の唇に触れる。小さく頷くと、指のあとを辿るように落とされた風太の唇が、涙の痕を拭っていく。瞼から鼻、そして頬から唇へと、何度も撫でるように柔らかく。
閉じていた瞼をゆっくりと開くと、手首を掴んだ風太がそこに顔を寄せて、手のひらにも唇を落とした。くすぐったさに珠恵が少し笑うと、風太の口元にも笑みが浮かぶ。
見上げた頬に、微かな窪みを作って。
「……ここ」
伸ばした指先をそっとそこに宛がい、小さく呟く。
「ん?」
「風太さん……笑うと、こっちだけ、エクボが浮かぶの、凄く……好き」
細めた瞳で珠恵を見つめた風太の顔から、笑みが消えて――。
一度抜け出たはずの手がまた、服の中に入り込んできた。唇を塞がれ、性急に入り込んできた熱い舌が、今度は様子を伺うような気遣いもなく珠恵の口内を好きなように蹂躙していく。手のひらは躊躇いなど置き忘れたように、明確な意図を持って動き始めていた。
けれど、肌を辿り上がってきた指の動きが、不意に止まる。唇を離した風太が、どこか不思議そうな目で珠恵を見つめた。身体の中で燻る熱のために潤んだ目で、珠恵は少し戸惑いながら風太を見つめ返す。
「あ、の……」
「……したままで、苦しくねえのか」
のぼせている頭では、咄嗟に何を言われているのかわからなかった。二度程瞬きをして、下着のことを言っているのだと気が付く。男の人もいる他人の家の中なのだ。風呂から上がってから今のいままで、考えるまでもなく身に着けていたものだった。そんなことを改まって聞かれるなんて考えもしなかったから、却って恥ずかしい。
「え、と……あ、あの、だってそれは……あの、人前……だし」
「ああ……そうか。お前これ」
しばらく、何かを考えるような顔をした後、風太が真剣な表情で珠恵を見下ろした。
「家ん中でも、俺の前以外では、絶対つけとけ」
「え? あ、あの風太さ、あっ」
ブツブツと呟くようにひとりごちた風太の動きが、また前触れもなく再開される。今しがた外すなと言われたばかりの下着は、あっという間に風太の手で押し上げられて、冷房で冷えた空気がスッと入り込む。熱い手のひらがなぞり上げた膨らみが、風太の手の中で好きなように形を変える。胸の先に触れる指に身体がピクッと跳ね、そこを捉えて弄ぶ指先に、堪え切れずに息が零れてしまう。
「ぁっ……ふ、たさっ……」
一度目に身体を重ねた時は何もわからなくて、そしてそれが最後だと思っていたから、風太の何もかもを忘れないようにとただ夢中でついていくのが精一杯だった。
今、珠恵の胸に触れている手を感じながら、何も考えられなくなりそうで、けれどまだ少しだけ理性が残る頭の中に、不意に朝の愛華との会話が浮かび、意識が逸れてしまう。
「わっ、私……あの」
「…………」
「ご……ごめん、なさ、い」
つい口を突いて出た言葉に、胸に唇を寄せようとしていた動きを止めた風太が、眉根を寄せて顔を上げた。
「何がだ」
「あ、の……私……ち、ちぃさくて」
「……何が」
「……む」
「む?」
「……むね」
多分きっと、これまで風太の周りにいた女の人達は、もっと女性らしい身体つきをしていたのだろうと思うと、決して大きいとはいえないそこに触れながら、もしかしたら風太は本音では物足りなく思っているのでは、と気になり始めてどうしようもなくなる。
言ってしまってから、そんなことを口にした恥ずかしさも相まって、珠恵は目を閉じて顔を背けてしまった。けれど、一向に風太から反応が返ってこないことが今度は不安になり、様子を伺うように、少しずつ目を開く。
じっと珠恵を見下ろしていた風太と目が合って。呆れ返ったような大きな溜息を漏らされた。
「お前って……」
「風太、さ」
「さっきからそれ、わざとか」
「……なに、が、ですか」
風太の言葉の意味がわからず、また何かを間違えたのかと泣きそうになる。
「あのなぁ……」
「……はぃ」
「ったく……これ、わかんだろ」
風太の身体が、グッと珠恵に押し付けられる。下腹部に当たるものがいったい何で、どういう状態なのかは、流石の珠恵にも嫌でもわかる。
「えっ……あっ、あの」
「お前の身体でこうなってんだ、わかったか」
もう一度舌打ちをした風太の、考えてもいなかったその答えに、もうどうしていいかもわからずに、ただ視線を逸らして顔を赤く染めながら小さく何度も頷く。
「つかも、頼むから、お前は余計なこと考えんな」
軽く口づけを落とされて、思わず視線を戻す。苦笑いした風太がもう一度軽く溜息を吐いて、優しげだった目付きが、不意に変わる。
「お前のせいで余裕、ねえから」
「……ふう、たさん」
「声、出来るだけ我慢しろ」
ボソリとそう口にすると、珠恵の胸を弄んでいた風太の手の動きが突然激しさを増した。
「え、ぁっ……んっ」
途端に声が漏れそうになり、口を手で塞ぐ。そうする間にも、風太の舌が固く芯を持ち始めた胸の先を突き、そこが濡れた熱い唇で食まれる。何がどうなっているのかわからないが、何かが風太の欲情に火を付けてしまったようで、そこからはもう全く遠慮を失くしてしまった指先と唇が、好きなように珠恵の身体をなぞり、食み、吸い上げて、あっという間に全身に溶けるような熱を灯していった。