少しでも暗い方が落ち着くだろうと、明かりを少し落とそうとベッドサイドのスイッチを押すと、薄暗くなった部屋の中を光の粒が回り始める。どうやらミラーボールのスイッチを入れてしまったようで、慌ててそれを止めて苦笑いしながら、呟きが風太の口から洩れる。
「ったく、スナックじゃねえっつうの」
そっと視線を下に落とすと、目が合った途端、気恥ずかしそうな表情をしながらも、珠恵が少し可笑しそうにクスッと笑った。
その男は、知っているのだろうか。彼女がこんな風に笑うことを。小さな花が綻ぶようなその笑顔には、周囲をホッとさせる力がある。ずっと見ていたいと、喜ばせたいと、そんな風に感じさせる笑顔。
ベッドに腰かけた珠恵の、笑みを浮かべた頬に手を伸ばして触れる。
「こんな部屋で、本当にいいのか」
その手に、小さな手が重なり、風太を見上げた珠恵がゆっくりと頷く。
「もうちょっとまともなとこ、入ればよかったな」
少し泣きそうな顔をして、今度はその首が横に振られる。
「なるべく、優しくするから。辛くなったら……すぐに言え」
もう一度小さく首を横に振った珠恵が、小さな声で呟いた。
「……優しく、しないで」
返事の代わりに、ゆっくりと顔を近づけた風太は、まだ涙の残る瞳を閉じた珠恵の唇に、そっと触れるだけの口づけを繰り返し落としていった。風太のシャツの腕の辺りに伸ばされた珠恵の手は、そこをギュッと掴んでいる。
少し色付いた頬に唇を滑らせて、瞼へ、額へ、そして再び唇へと戻りながら、髪を撫で上げた。
「なあ……」
まつ毛を震わせながら、微かに瞳が開かれる。唇にそっと触れてがら「――そいつに」そう口にした途端に、ビクッと身体が揺れ見開いた瞳が逸らされる。唇が震えているのが、触れた指先に伝わってくる。
「キスとか、されたか」
できるだけ怯えを取り去るように、優しい口調で問い掛けながらも、風太の胸の内では見知らぬ男への怒りが渦巻いていた。
「さっ……れて…ませ」
首を横に振った珠恵の顔を腕で抱き込むと、顎を引き上げ、覆いかぶさるように唇を重ねた。袖を引く手の力が強くなる。きっと息も継げずに苦しいだろうと思いながら、開いた唇に舌を差し込む。
「っ……んっ」
戸惑い狼狽えている慣れない彼女の舌を、誘うように絡め取り、歯列をなぞり、少しだけ唇を離す。苦しげに息を吐いた珠恵の瞳が、薄っすらと湛えた涙で光る。
「鼻で息、しろ」
じっと見つめながらそう告げて、今度はさっきよりは少し緩やかに、風太はその口内を蹂躙していった。
「……り、かわ、さっ……」
「なに」
優しくすると言いながら、キスだけで上がる熱に風太も少しずつ余裕をなくしていく。吐息の合間に自分の名を呼ぶ珠恵に問い返す声が、自分でも可笑しいほどに性急だった。
「……どう……応えたら、いいですか」
顔を赤く染めながら、そう尋ねてくる声が真剣なもので、まるで自分の方が初めて女を抱くときのように心臓が強く脈打つのを感じる。珠恵から少し身体を離した風太は、深く息を吐き出した。
「ごっ、めん、なさい」
呆れたと思ったのだろう、落とした視線の先で、泣きそうな顔をした珠恵が顔を俯ける。
「慣れて、なくて」
「そうじゃない……悪い。そういうんじゃないんだ」
「……え」
「あんたが思ってるほど、俺も余裕がない」
驚いたように視線を向けた珠恵に、苦笑いを見せる。
「あの……森川さ」
「全部教えてやる」
手のひらを頬に当てて、指で、唇をなぞる。
「今度は俺が、あんたに教える番だ」
「……はい」
余りに素直な返事に、思わずまた苦笑する。
「何か……悪いことを教える気分になるな」
「え?」
「いや」
呟きに反応した珠恵の瞳を、まっすぐに射るように見つめる。優しくしたい気持ちと、取り込んで閉じ込めてしまいたいような強烈な欲望が胸の中で入り乱れている。
「口、開いて」
一瞬躊躇ってから、従順に開かれる唇に、触れていた指をゆっくりと入れていく。
「さっき、俺がしたみたいに、舌使って……」
触れた舌を指で呼び起こすと、顔を赤く染めて、泣きそうな目が風太を見上げてくる。
「……応えたいんだろ」
頬を撫でながら、ほら、と促すと、やがておずおずと、彼女が舌を使い始める。慣れないぎこちない動きでも、熱い息と唾液の絡む音、羞恥に朱く染まる目元、そして少しずつ熱に浮かされたように潤み焦点を失くしていく瞳に、風太も煽られていく。
その様子を見つめながら、珠恵の手を持ち上げて、まだ赤く擦傷が残る手首にそっと唇を落とす。それに反応した彼女の歯が、軽く風太の指を噛んだ。
「っごめ……なさ」
「痛むか?」
本当は痛みを感じているのだろうが、必死でそれを否定するように首が横に振られる。もう一度本当に微かに触れる程度に唇で手首をなぞって、甘くさえ感じる珠恵の指を舐めて口に含んだ風太は、そこに軽く歯を立ててから、舌を這わせ吸い上げた。
見つめる視線の先で、意図を汲み取り風太のすることを真似るように動き始めた口内から指を抜き出す。無意識にだろう、僅かにそれを追うような仕草を見せた珠恵に、すかさず唇を重ね舌を与えた。
鼻から抜けるような息とともに、そこに彼女の舌が、さっきよりも柔らかく絡みつく。自分が教えたことに必死で応えようとするその様子に、堪らない気持ちになる。
彼女は、真っ白なのだ。それを自分の色に染めて行く罪悪感と喜びに、男の本能が刺激される。
ゆっくりと唇を離すと、二人の間を細い糸が繋いで途切れる。コクリと、珠恵が中に残した二人の唾液を飲みこんだ。
「……よく出来ました、だな」
上気した頬に触れ額に唇を落としてから。風太は、濡れた瞳を見つめたまま身につけていた長袖のシャツを脱ぎ去った。恥ずかしそうに一度は逸らされた珠恵の視線が、ゆっくりと戻ってきて、風太の身体に刻まれた色彩の上で止まる。
「怖いか?」
答えのないまま伸ばされた指が、身体に纏うその絵に触れる。そっと絵柄をなぞるように、肘の上から肩口へと肌を辿る柔らかな指が、静止している天女を飛翔させるような錯覚を覚える。
ナイフの刺し傷の痕がまだ少しだけ残る微かな凹凸を、その指先が見つけた。
「顔……傷が、残ってる」
「そのうち、薄くなってく」
「ほんと、ですか」
「ああ、まあ完全には消えないだろうけどな」
ホッとしたのか少しだけ笑みを浮かべながら、魅入られたように風太の絵を辿っていた瞳が、そこに描かれたものを見つめ微かに揺れる。
「散ったはずなのに……森川さんの身体には、桜が、まだ咲いてるんですね」
「そう、だな」
「いいな……」
ポツリと呟くような声に、耳を傾けた。
「森川さんを……怖いと思ったことは、一度もありません。この、刺青も。初めて見た時から、綺麗だって、そう思っていました。ここにいる天女は……とても、穏やかな顔をしています」
「そんな、上等なもんじゃねえ」
肩口に描かれた天女の目元に残る傷跡から、腕に刻まれた桜の花びらへと、まるで壊れ物に触れるように肌を撫でる優しい指の動きに、身体がざわつく。
「こんな風に……この桜みたいに」
ゆっくりと、そこから視線を風太の顔へと戻した珠恵の笑みが解けて、切なげに歪む。
「私も、森川さんの肌に……永遠に刻まれる、絵になりたい」