「帰りにちょっと寄れって連絡が来てたから、もう少しいいか」
駅前の通りに差し掛かったところで、風太が指示したのは、ターニャの店の方向だった。
花のお礼も言いたいからと珠恵が頷くのを待って、先程の静けさとは逆の、多くの光であふれた通りへと向かう。
いつもより少し遅いこの時間帯、店から出てくる酔っ払った客たちや、客引き、駅へと戻る人たちで、通りはまだまだ賑わっていた。
路地を折れた先にある見慣れた扉の前で、立ち止まる。なぜか風太は、いつもは先に開ける店の扉を、珠恵に開けるようにと促した。
「こんば――」
扉を開けた途端、挨拶を終える間もなく「あらぁ、待ってたわよー」と野太い声と共に、店子の二人によって珠恵の腕が店内へと引かれていく。
「えっ、あの」
「みなさーん、お待ちかねの主役登場!」
その声に呼応するように、店内から拍手が沸き上がる。驚き狼狽えている間に、伸びてきた別の手が、珠恵から荷物や上着を次々と取り去っていった。
「えっ、真那ちゃん?」
ふふっと、悪戯っぽく笑った真那から、「あ、それ僕が」と荷物を受け取り空いたテーブルに置きに行ったのは、弟の昌也だ。カウンターの中からは、摘みを運んできた翔平が「きたきた」と嬉しそうな笑みを向けてくる。
「えっ、え、あの、えっ、待って、これっ、皆どうして」
珠恵がただただ狼狽えている間に、「はい、珠ちゃんは、これね」と、真那が頭の上から何かを掛けてくる。斜め掛けされた襷には、『今日の主役』と、大きな文字が記されていた。
視線を巡らせると、まったく動じていない風太が、ひとりカウンターのスツールに腰を下ろして、笑いながらこちらを眺めている。風太は、知っていたのだろうか。きっとそうだ。
「あ、あの風太さん、これ」
「はーい、おタマちゃん。あんたはこっち」
まだ動揺にドキドキしたまま、用意された椅子に腰を下ろす。その途端店内の明かりが落ちて、キャンドルの立てられたケーキが、運ばれてきた。
「おめでとう、ございます」
そういって静かにケーキを置いた弘栄が、微かに笑みを浮かべたのが分かる。
「あっ、あの、ありがとう――」
カウンターへと戻る後ろ姿に礼を言いかけた時、派手なクラッカーの音と共に、いくつもの「お誕生日おめでとう!」の声が店内に響いた。
驚き、動揺の次にやってきたのは、自然と溢れてくる涙だった。
「あ……、私、あの、ありが……とう、ございます」
「あーほら、やっぱり泣いちゃった」
「みんなどうせ騒ぎたいだけなんだから、泣かない泣かない」
「ほらほら、早く吹き消してちょうだい」
「もう、こっちはずっとお預け食らってるんだからね」
「――はい」
涙を拭い、笑いながら震える息を深く吸い込んで。
珠恵は、20の数字と4本のキャンドルに灯された小さな炎を、ひと息に吹き消した。
店内の明かりがともり、切り分けられたケーキが配られ、用意された軽い摘みや飲み物がみるみるうちに減っていく。
カウンター席にひとり腰を下ろし、片肘をつきながら、風太はグラスを手に、泣き笑いの顔でケーキをほおばっている珠恵を見つめていた。
その時、耳に聞き覚えのある小さな音が届いて、その音がしたカウンターの中へと顔を向けた。
「大成功ね」
「そう、ですね」
「ほんっと、いいリアクションしてくれるわ。あの子」
スマホを構えたままのターニャが、風太を見て意味深に笑ってから、店内ではしゃぐ皆の方へと視線を移した。風太も同じように店内の様子を眺めていると、「――で?」と、再び向けられた野太い声に、視線を戻す。
「あの花、ちょっとはムードを盛り上げる役に立った?」
「ああ……あれ。ターニャさんからって言いましたよ」
「えっ、なんでよ。……ったく、この男は。どうせあんたじゃそんな気もきかないだろうって、せっかく演出を買ってやったのに」
「喜んでましたよ、あいつ」
「ならまあ……いいけど」
少し呆れたように笑いながら、風太の前に置いたつまみのナッツに手を伸ばし口に入れたターニャへと、今日の礼を伝える。店の紹介から今のこの状況まで、今日はターニャに借りを作ってばかりの日だった。
「まあ、寝不足は美容の敵だからね。気持ちよーく寝てるところ起こされたときは、あんたを絞めてやろうかと思ったけど。私も、結構楽しかったからいいわ」
はしゃぐ店子を相手にやや辟易としている昌也、それを見ながら笑っている真那や珠恵。貸し切りの店内は、いつもとは違う健全な賑わいで満ちている。
「ねえっ、おタマちゃん!!」
カウンター越しに、大きな太い声が珠恵を呼ぶ。振り返った珠恵に向けて、ターニャは、手にしたスマホを振りかざした。
「それ。私からのプレゼントよっ」
目を見開いた珠恵が、ターニャの言葉を受けて自分のスマホを操作している。やがて、画面を見つめる珠恵の顔に、はにかむような、そうして文字通り輝くような笑みが浮かんだ。
「……ありがとう、ございますっ」
「あらま、かーわいい顔しちゃって」
そうターニャが呟いた顔のまま振り返った珠恵が、ターニャを、そうして風太を見遣った。
「それ。いいプレゼントでしょ」
「――はい!」
なになに、と珠恵を取り囲んだ店子達が、すぐに雄たけびのような声を上げる。真那のはしゃいだ声、嬉しそうな珠恵の顔、少し呆れたような照れくさそうな昌也の顔、なぜか自慢げな翔平。
「……なんっすかあれ」
視線を向けると、ニヤっと笑ったターニャが、得意げにスマホの画面を風太へと向けてくる。
「これ、私も待ち受けにしちゃおっかしら」
そこには、カウンターから珠恵を見つめ微笑んでいる、風太の横顔が写っていた。
(fin)