本編《Feb》

エピローグ 再びの新月



 永の葬儀が執り行われ、全てが落ち着き秋を迎える頃、淳也と藍の結婚式が行われた。
 主である功が芙美夏との結婚式をまだ挙げていないのに、と挙式を躊躇した二人だが、功と芙美夏の計画を聞いて、そのまま予定通り挙式を執り行うことにしたようだった。
 数年ぶりの再会後、以前よりも深く何かと相談相手になって支えてくれた、あの頃と変わらぬ藍の美しい花嫁姿。そして幼いころからずっと変わることなく、芙美夏や功に手を差し伸べ、時には厳しく、家族のように側に寄り添い、見守り続けてくれた淳也。
 大切な二人が仲睦まじく並ぶ姿を見ながら、芙美夏は胸が一杯で、式の間中何度も涙を拭っていた。

 そうして功と芙美夏は、一年前に功が芙美夏にプロポーズしたのと同じ日に、北海道の教会で、密かに小さな結婚式を執り行なった。
 式に招待されたのは、香川夫妻、淳也と藍、康人、栞、柿崎夫妻。そして、柊丘学園の子どもと先生達だった。
 別れてしまっていたという康人と栞が、この時の再会をきっかけにまた二人で会うようになった事で、それを目論んだ淳也の狙いが上手く嵌ったと、康人に貸しを作った淳也は得意げだった。

 次の春を迎える頃には、芙美夏の身体はもう殆ど回復していた。病院でのリハビリの必要も無くなり、事故の後遺症も、今のところ出ていない。
 ただ、右腕に大きな傷跡が残っていて、それを消すために、数度の手術を受ける必要はあった。
 身体が動くようになってから、芙美夏はリハビリも兼ねて二条の福祉部門で働けることになり、今はフルタイムではないが、週に何日か働きに出ている。
 少なからず現場を知っていること。そして芙美夏自身の生い立ちや経験は、ここでは重宝されていた。
 当初、芙美夏が功の妻であることを知っていたのは室長の吉村のみであった。けれど、心配でいても立ってもいられずに何度も部署に顔を覗かせる功のお蔭で、全てがばれるのにそれほど時間はかからなかった。

 功は、やはり忙しい人で、一緒に過ごすことの出来る時間は少ない。
 それでも、そばにいるときは、周囲が呆れるくらい優しい。優しく甘く芙美夏の心も身体も全てを包んでくれる。
 芙美夏に、揺れない強さをくれる。
「昔優しくできなかった分、いくら優しくしても、し足りないんだよ。あれは」
 そう言って半ば呆れたように笑った淳也は、隣に居た藍から、淳くんも私にもっと優しくしろ――と、小突かれていた。

 * * *

 今年の春は、少し早く桜が咲いた。
 この時期には珍しく空が澄んだ月夜、屋敷の庭に出て満開の桜の木の下に座り夜空を見上げる。今日は、功が10日間の海外出張から戻ってくる日だった。
「お月様まん丸だね」
 隣に座る小さな温もりを抱き寄せる。
「綺麗ね……」
「パパも一緒に見れる?」
「うん。もうすぐ帰ってくるはずだから、きっと一緒に見られるよ」
 そう言って、少し前に会社を出たという功からのメッセージを見せる。
「早く帰ってこないかな……」
 歌うように節をつけてみせるのを笑って聞いていると、功の帰宅を知らせるメロディが携帯から流れた。
「あっ、帰ってきたっ。パパ連れてくる」
「咲っ」
 止める間もなく庭を走り抜けていく小さな影を、微笑みながら見つめる。
 咲が肩から下げた熊のポーチから聞こえる、カチカチとガラスがぶつかる音が遠ざかっていく。
 功は、出張に出かける度に、咲にガラスの玉をひとつずつ買って帰る。咲の欠けたあのビー玉は、功が貰い、彼の宝物になっていた。
 二人は、芙美夏が焼きもちを焼く程、仲が好かった。

 はしゃいだ笑い声が、少しずつ近付いて来る。
 浮かぶ影に目を細めると、いつでも姿を見るだけで、声を聞くだけで芙美夏の胸を切なく温かくさせるその人がこちらに向かって来るのが見える。
 もうすぐ、楽しげに咲を抱き上げた功がここに戻って来る。いつでも、触れ合う事が出来る程そばに。
 ただいま――の言葉と共に、芙美夏を抱きしめて何度もキスをする。

 満月の光が降り注ぐ、この場所で。


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