本編《Feb》

第四章 居待月3



 芙美夏と空港で再会してから、一週間が経った。
 その間も、何度もこちらから居所を探し出し連絡したいと思ったが、功はその気持ちをどうにか抑えていた。
 その日は土曜日だったが、会議の後遅くまで会食があり、店を出る頃には23時を回っていた。財界の重鎮と言われる人物との会食だったため、見送りを済ませてから、オフにしていた電話の電源を入れる。
 見知らぬ番号からの、着信履歴が入っていた。それを目にした途端、胸が逸る。
 着信時間は21時前だった。もう折り返すには遅いだろうか、そもそも、果たして芙美夏なのだろうか――と、躊躇ったのはほんの一瞬で、すぐに発信ボタンを押していた。
 呼び出し音を聞いている間、功は自分が緊張しているのに気が付き可笑しくなった。誰かに電話をするだけで、こんな気持ちになるのは初めてのことだ。
 音が途切れると、向こうで小さく息を吸う気配があった。
「――芙美夏?」
 相手が口を開く前に、確かめていた。
「はい」
 彼女の声が、耳に届く。
「遅くなってごめん。もう寝てた?」
「いえ、起きてました。あの、連絡……遅くなってごめんなさい」
「いや。って言っても、明日までに電話がなかったら、こっちから連絡してたよ、多分」
 本音を、冗談めかして言いながら重くならないように笑う。
「元気?」
「はい。功さんは……凄く忙しいって聞いています。あの、お父様は?」
「ああ、まあ特に変わりはないよ、今のところ」
「そう、ですか。……功さんは、身体は大丈夫ですか?」
「俺なら体力もあるから大丈夫だよ。でも、ありがとう」
「あの、いえ……」
 話しながら、つい笑みが零れた。
「どうかしたんですか?」
「いや。芙美夏とこうして電話で話すのは初めてだなと思ったら、何だろうな、おかしく思えて」
 半分は本心で、もう半分は違う理由だった。芙美夏の話し方が余りに硬いことや、何より、こうして芙美夏の声を聞いただけで、馬鹿みたいに喜んでいる自分が可笑しくなったのだ。
 耳に 流れ込んでくる彼女の声――その声が聞こえるだけで、自分に耳があり心臓があるのだということを意識させられるのだから、笑いたくもなってくる。
「そう、ですね」
 少しの間、沈黙が流れた。迎えの車が到着し、功の横に静かに止まる。
「ちょっと待って。車に乗るから」
 断りを入れて後部座席に乗り込むと、車を出すよう指示した。

「今、帰りですか? いつもこんな遅い時間まで?」
「今日は会食だったから。でもまあ、早い方だよ。それより芙美夏。会いたい」
 気持を抑えられず、唐突に切り出すと、少し躊躇うような間が空いた。
「でも、時間がなかなか取れないんじゃ」
「大丈夫、それは問題ないから。芙美夏の予定が空きそうな日をいくつか教えてくれないか」
 芙美夏が、やはりまだ躊躇しているのか、どこか遠慮気味に口にした幾つかの日のなかで、時間を調整できそうな、なるべく早い日を指定した。
「じゃあ、来週木曜の午後に。そっちへ行くから」
 自分が東京に来るつもりでいたらしい芙美夏は、驚いて遠慮したが、そこはこちらの意志を押し通す。空港までは迎えに行くというので、それは受け入れ、便がわかれば連絡すると告げた。
「じゃあ、木曜日に。ああ。……それじゃあ、おやすみ」
 名残惜しいが、ゆっくり話すのは会った時で、と思い、通話を終わらせようとした。
「あっ……の」
 その時、引き止めるような芙美夏の声が聞こえた。
「ん?」
「こっちはもう、夕方や日によっては昼も寒いので」
「ああ、そうか。そうだな。ありがとう。薄手のコートは持って行くようにする」
「はい。じゃあ……おやすみ、なさい」
「ああ。おやすみ」
 会話を終えた後も、暫らくは電話を見つめていた。まるでその中に芙美夏がいるかのように。
 目を閉じてシートに凭れながら、功は今日の疲れも、どこかへ行ってしまったように感じていた。
 久しぶりに――。ゆっくりと眠れそうな気がした。

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