本編《Feb》

第三章 満月4



 部屋の中に、荒い呼吸が響いていた。
 汗で滑り落ちるように脱力した芙美夏の腕が、ゆっくりと離れベッドに落ちていく。背中に付いた傷が汗で少しひりついている。噛まれた肩の傷は、功にも熱を持ったような痛みを残した。
 芙美夏の額に張り付いた髪を掻き上げると、中からゆっくりと自身を抜いて破瓜の痕が残るそれを始末する。
 そうして、芙美夏の意識がまだどこか曖昧な間に、僅かな抵抗を制し、身体を拭ってやりもう一度緩く抱き締めた。
「……辛かっただろ」
 ボンヤリとした目を閉じた芙美夏が、首を横に振る。
「付き合ってたんじゃ、なかったのか?」
 傷つけたりしないように、気になっていたことを出来るだけ柔らかな口調で確かめた。
「……違う」
 瞳を閉じたまま、そう呟くように否定した彼女を見て、思わず胸元に額を落とし大きく溜息を吐いた。自分を詰りたくなると思いながらも、それだけでまた芙美夏の香りに酔い痴れそうになる。
「……んっ」
 功の吐息にすら小さな反応が返ってくることに、もう一度、さっきとは違う種類の溜息を吐いた。
「じゃあなんで康人はあんなこと」
「康人さんに、会ったの?」
 部屋の中は明かりを消していたが、それでも、窓から差し込む月明かりに目が慣れていたので、驚いた表情を浮かべたのがよく見える。
「ああ、まあ」
 思い出したくもない状況に、つい功は口篭ってしまった。
「康人さんが、私と付き合ってるって功さんに言ったの?」
 芙美夏は、戸惑っている様子だった。
「康人だけじゃない。淳也も否定しなかった」
「なんで……そんな。付き合ってる振りはしてもらってたけど、淳ちゃんも知ってるのに」
 功は、思わず顔を顰めた。
「どうしてそんなことを?」
 芙美夏は、少し言いにくそうに口にした。
「あの、付き合って欲しいって、言ってくる人がいて……ちゃんと断ったんだけど、結構しつこくて」
「で、彼氏がいることにしたらいいって?」
 ばつが悪そうに、芙美夏が頷く。
「栞さんがそう言ってくれて……あ、栞さんは康人さんの彼女で」
 今度は功が、ばつの悪さに、顔を逸らす番だった。
「……勘弁してくれ」
「えっ?」
「あいつらに嵌められた」
 功は、そう言いながら笑いが込み上げてきた。芙美夏の身体に顔を埋めて、肩を揺らしながら笑う。
「功さん……どうしたの? 淳ちゃんと康人さんがっ」
 芙美夏の唇を塞いだ。
「他の男の名前はもういい」
 功の言葉に、顔を赤くした芙美夏を自分の胸に引き寄せた。唇を重ね、キスを深くしながら、必死で応えようとする彼女の反応を楽しむくらいの余裕が今度はあった。
 わざと、リップ音を立てて唇を離す。
 羞恥と熱。そしてどこか痛みを堪えるような芙美夏の顔を見ているうちに、愛しさが更に込み上げてくる。
 功は、芙美夏の身体を出来るだけ辛くないようにゆっくり抱き起こすと、まっすぐ射抜くようにその目を見つめた。
「芙美夏」
 大切な、愛しい人の名前を呼ぶ。近くにある瞳に、涙の幕がかかっていた。
「――愛してる」
 瞬いた瞳から、きれいな涙が零れ落ちていった。
「芙美夏、は?」
 優しく問いながら、心臓の鼓動が速くなる。
 大好きだと言った芙美夏の言葉は、もちろん功の胸の中に刻まれていた。それでも、無意識かもしれないその言葉を、今度ははっきりと意識している中で言わせたかった。
 芙美夏がゆっくりと功の首に手を回す。そうしてどこか苦しそうな表情をすると、目を閉じて小さく口を開いた。
「……好き」

 抱き寄せて流れ落ちる涙を唇で拭い、恥ずかしさに彼女が引き上げ巻きつけていたシーツを剥がして、もう一度その身体を手で辿り始める。
 無理をさせているという自覚はあったが、どうしても止めることが出来ずに、功は再び芙美夏の身体をベッドに沈めた。


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