本編《Feb》

第三章 十六夜1



 美月が学園に向かうのを見送ってから慌てて踵を返し居間に戻った淳也は、功の姿を探した。居間に戻り、そこに居た母和美にその事を尋ねてみると、どこか戸惑った顔をこちらに向けた。
「夕べ遅かったから、旦那様の書斎に向かわれたはずだけど。でも、モーニングを用意していたのに着てらっしゃらないし、後でもう一度着替えるつもりかしら……」
 頬を押さえて何か考え込んでいた和美が、思い出したように淳也に目を遣った。
「あなたも急いで支度しなさい。スーツは昨日部屋に届いていたのがあるでしょ」
 そう言って、和美はそのまま今日の準備の為に、慌ただしく部屋を出て行った。
「私達の代わりにしっかり美月ちゃんの姿、撮って来てよ」
と言いながら。

 淳也は、先程の功の態度が、ずっと気になっていた。
 今まで、功があんな風に真っ直ぐに美月に笑顔を向けたり、ましてやこの屋敷の中で彼女を芙美夏と呼ぶなどあり得なかったことだ。気になってすぐにでも問い質したかったのだが、今は確かに功を待っていられる程の時間はなかった。
 仕方なく部屋に足早に戻ると、スーツに着替え、カメラやビデオを手に卒業式に向かった。

* * *

 卒業式自体は特別な演出もないごく普通の式だった。
 美月や藍やその友人達が、証書を手渡される様子をビデオに収めて行く。初めは淳也の存在にざわついていた周囲も、式が始まればやがて落ち着いた。
 滞りなく式が終わり、生徒や、華やかな姿の父兄がホールの外へと流れ出す。各々が写真を撮ったり話をしながら時間を過ごしている。こういった光景は、きっとどこの学校でも変わりがないのだろう。
 午後からは、再びこのホールで謝恩会が執り行われる。それは、この学園らしく、華やかで贅沢な催しとなっていた。
 淳也は会場を一足先に出て、美月達が出て来るのを待っていた。多くの生徒達が、淳也の姿を見つけて駆け寄って来るのをうまくやり過ごしていると、友人達に囲まれ笑顔で話をしながら、美月や藍が出て来た。
 周りの友人の方が先に淳也に気がつき、彼女達は、楽しそうに笑いながらこちらに寄って来た。
「淳ちゃん、ごめんなさい。待たせてたよね」
 後ろで友人達が、だって藍が……とからかい合いながら笑う。その光景を見ながら、よかったと、どこかで安堵を覚えていた。
 中学部に上がるまで、殆ど学校に来ていなかった事や、その出自をあれこれ噂された事もあり、美月は、この特殊な学園の中でいつも一人だった。たった一人で、倉庫裏で昼食を取っているのを知った時のあのショックは忘れられない。
 どんな時も美月は、どこかで強く自分を保っていた。教室は色々煩いから、と笑う時、それは決して強がりだけではなかった。それでも、こうして友人に囲まれて楽しそうにしている美月を見るのは嬉しい。そんなことを考えながら、淳也に笑みを向けた美月に、声を掛けた。
「卒業、おめでとう。次は同じ大学だな」
「ありがとう」
 そう答えた美月の笑顔がとても綺麗で、思わず言葉に詰まってしまう。
「ねえ、淳ちゃん、皆で写真撮って」
 美月はそんな淳也の様子に気付いた風でもなく、袖を引いてくる。
 リクエストに応えながら、何枚も何パターンも写真を撮る。次々と手渡された携帯を掲げて、シャッターを何度も押した。カメラマンさながらにポーズをリクエストすると、弾かれたように皆が笑ってモデルになりきってみせる。
 やがて誰かが淳也も一緒にと言いだして、そこからは撮られる側に回った。最後には何故か一人ずつとツーショット写真を撮らされた。
 藍が隣に立つ。初めて会った時より数段大人っぽくなっていた。
「香川さん、女子高生に囲まれて嬉しそうですよ」
「そう?」
 どこかからかうように笑った藍に笑みを返すと、カメラを構えた子が、「はいはい。そこの二人、腕組んでみようか」と、ふざけたような低い声を出してカメラマンの真似事を始める。すると、また皆が一斉にキャーキャー言いながら笑う。
「じゃ、卒業祝いって事で」
 皆の勢いに押され気味の淳也に、藍の方からそう言って腕を絡めてきた。何故だか思いがけず照れてしまったのは淳也の方で、皆に可愛いと笑われながら写真に納まる。
 最後に美月が隣に立った。そういえば彼女と写真に写るのは随分久しぶりのような気がする。美月にも腕を組まれながら、淳也はそんな事を考えていた。
 何枚か写真を撮る間に、淳也の腕を掴む手に力が入っていくのを感じて、美月の方に顔を向けてみた。けれど、俯いていてその表情は見えない。
 その時、少し強い風が、校庭を吹き抜けていった。
「みい……?」

 淳也の声を遮るように、美月の友人達が駆け寄ってくる。
「やだっ、美月泣かないでよ」
 言いながら皆の目にも涙が浮かんでいた。
「最初に泣いた人がおごりって約束だったよね」
 口々に言いながら、泣き笑いを浮かべる友人たちに、美月は顔を上げて謝った後、赤くしたままの目で淳也を見上げた。
「淳ちゃんごめん。沢山……ありがとう」
 やはり泣き笑いの顔でそう口にした美月に、慌てて首を横に振る。
「いや……これくらい。こっちの方が光栄だった。皆も卒業おめでとう」
 泣いていた彼女達に言いながら、淳也は内心ひどく動揺していた。
「行こうか」
 ひとしきり泣いた彼女らは、口々に淳也に礼をいい、淳也もそれに応えた。
「じゃあ淳ちゃん。行くね」
 そう言って藍らと教室に戻ろうとする美月を「みい――」と呼び止めた。背を向けていた美月がゆっくり振り返る。
 だが、今この場で、美月を問い詰めるわけにはいかないと思い直した。
「いや、またあとで。楽しんでこいよ」
 美月は、まだどこか潤んだ瞳でこちらを見つめて頷いた。
「バイバイ、淳ちゃん」
 言いながら手を振って、少し前で待つ藍達を追い掛けて行く。
 後ろ姿を見送っていると、校舎に入る手前でもう一度美月が振り向いた。淳也が手を上げると、美月はゆっくりと腕を持ち上げ、手を振り返す。
 手を持ち上げたままじっとこちらを見ている美月に、行けと合図を送る。
 もう一度手を振り、美月の姿が校舎の中に消えた。


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