本編《Feb》

第三章 満月6(弧月)




 軋む体をゆっくりと起こし、隣で眠る人を起こしてしまわなかったかと、じっと見つめる。少し開いた功の唇からは、静かに繰り返す呼吸の音が聞こえていた。
 そっと、その瞼にかかる髪に触れる。そのまま顔に触れようとした手を、直前で止めた。
 ベッドを揺らさないように足だけを下ろし、しばらくそこに腰掛けていた。
 身体のあちこちが痛い。下腹部には鈍い痛みが残っている。
 だが、何も纏わない自分の身体に散っている、功が刻みつけた痕が愛おしく、指で触れてみた。
 目が慣れたのか、思いがけず部屋が明るいことに気付く。時計を見ると、時刻はまだ四時前だった。
 ボンヤリと窓の外を見上げて、その理由がわかった。

 満月がでていた。
 美しい月だ。
 ほんものの美しい月――美月だった。
 気が付くと、涙が溢れ出ていた。嗚咽を漏らさないように手で口を塞ぐ。
 私は本物ではない。あんな風に堂々と美しく輝く本物ではないのだ。
 功は、本物でない自分を、まるで本物のように愛してくれた。功に愛してると言われた時、自分の存在が許された気がした。
 それだけで――きっともう充分だ。

 そっと、手のひらで涙を拭うと、静かに息を吐いて、ゆっくりと立ち上がり、音を立てないように落ちていた衣服を拾う。
 振り返り、もう一度緩やかに寝息を立てているその人を見つめた。身体中に深く刻み付けるように強く。
 静かに寝室を抜け出し、隣室で衣服を着ると部屋を横切る。その時、クローゼットに掛けられたモーニングが目に入った。
 足が、その前で止まる。
 功の婚約者になる人を、自分は傷つけた。きっと彼女がこのことを知ることは無いだろう。それでも、傷つけてしまったと胸が苦しくなる。
 明日が何の日か忘れたわけではなかった。自分の立場もよくわかっている。だが、わかっていながら、気持を抑える事が出来なかった。
 まるで涙腺が壊れたみたいに、泣いている自覚もなくすぐに涙が零れる。あの日この部屋で、功に泣いていいと言われてから、とても、泣き虫になってしまった。
 唇を強く噛み締める。強く目を閉じて、深く呼吸を繰り返すうちに、やがて吐き出す息の震えが止まった。
 強くなりなさいとそういった香川の言葉が、胸に染みる。
 きっと、今がその時だ。

 顔を上げて目を開くと、扉をそっと開いて、功の部屋を静かに出て行った。


 

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