本編《Feb》

第二章 二日月7



 大学の駐車場に車を止めた淳也は、足早に校舎へと向かう途中で、見知った人物を見かけて駆け寄った。
「青山先生」
 呼ばれて立ち止まった人物は、先生と呼ばれるにはまだ若い、学生のような見た目の准教授だった。
「ああ、香川君」
「おはようございます。功さん、今日は先生のところに寄る予定ですか」
 二人に国際経営学を教えている青山は、挨拶を返したあと少し考えて答えを口にした。
「いや、確か今日は予定に入ってなかったはずだよ。今日は何だったっけな、そうそう、フランス語と言ってたような気がするけど」
「そう、ですか……」
 淳也は、つい眉根を寄せてしまう。
「何、連絡つかないの」
「いや、まあ。あの人最近俺からの連絡、しょっちゅう無視するんですよね」
「そうなの?」
「ええ」
「香川君がうるさく言い過ぎるからじゃないの。そういや、最近淳也が小姑みたいだって功君言ってたな」
「そりゃ、あれだけ好き勝手されたら誰かが締めてないと。とにかく、ちょっと見かけたら俺が急ぎ連絡を取りたがってるって伝えて貰えますか」
「わかった。怒らないって言ってたからって言っとくよ」
 そういって笑いながら青山は立ち去っていく。

 淳也は、今朝の美月の様子を思い出し落ち着かない気分だった。明らかに、何か隠し事をしている。
 身近にいる親しさで最近まで余りよくわかっていなかったのだが、客観的にみると確かに彼女は、派手ではないが思わず目を惹くような、清楚な雰囲気を持った綺麗な女の子だった。
 特に高校生になる頃から急に大人びた雰囲気になり、学園でも外部から入った生徒たちだけでなく、内部から持ち上がりの昔からその存在を知っていた男子生徒たちや、それに下手をすれば近隣の大学生の間でも、美月のことがちょっとした噂に上っているらしかった。
 そんな事を耳にしていた時だったから、変な男に付き纏われたりしているのではないかと、余計に心配だったのだ。
 これまでずっと辛い目にばかりあっていた美月が、穏やかな生活を送れるようになったのはようやくここ最近のことなのだ。それだけに、それを脅かすような存在は、出来るだけ排除したい。
 もしも美月に付き合う相手が出来たならば、淳也はそのことを知っておく必要があるとも考えていた。
 ――自分のために、ではなく。
 だが、今回美月が隠しているのは恐らく、そういった所謂「幸せな」類の話ではないのだろうと、淳也にはどこかでそんな予感があった。

 午後までの講義を受け、その後に予定されていた家庭教師のアルバイトに行き、それからその日の最後の予定である会社法の講義を受けるために講師である弁護士の事務所を訪れる。
 けれど、美月のことが気になり集中力を欠いていた淳也に、今日は上の空だねと、講師が通常の半分の時間で講義を切り上げてしまった。時間を割いて貰っている申し訳なさは流石にあるだけに、頭を下げて別の日に時間を調整してもらう。
 事務所を出て車に乗り込むと、エンジンを掛けてから時間を確かめた。早く終わったとはいえ、かなり遅い時間には違いない。携帯を取り出すと、今日何度目かの電話を美月にかける。しかし、呼び出し音は鳴るものの応答はなかった。
 今日は一日ずっと連絡への返事はなく、電話をしても電源を切っているか出ないかのどちらかで、そのことが淳也の不安を助長させる。だからといって、家に帰ってももう深夜を回るこんな時間に、いくら淳也でも、これから美月の部屋を訪ねることはさすがに憚られた。
 溜息を一つ落とすと、今日ずっと連絡がつかないもう一人の連絡先を表示させ、通話状態にする。けれど応答した今日何度も聞いた無機質なアナウンスに、舌打ちをしながらすぐに電話を切った。
「何やってるんだよ、まったく」

 それでも、どこで何をしていようとも、功にとっての最優先事項は美月のことだ。いつの頃からか、それが二人の間では暗黙の了解になっていた。
 そのことだけは、絶対に間違いがない。
 功が今どこで誰と居るのかを考えた時、正直これから呼び出しをかけるのは気が進まなかった。何も確かなことのない漠然とした不安を、告げるべきかどうかも本当はまだ迷っている。
 だが、恐らく待っていても、何があったのかを美月が自ら口にすることはないだろう。彼女は、いつでも、ずっと周囲に遠慮をして生きている。自分の存在が人に迷惑を掛けることのないように、自分の意思はいつでも心の奥に押し込めるように振舞うのが美月だ。

 極端に短いプラチナブロンドの髪に、カラーコンタクトを入れたブルーの瞳。身体のラインをいやに強調したスーツ姿のフランス語講師を思い浮かべて、溜息を吐いた淳也はアクセルを踏み込み、パーキングから国道へ出て首都高の入り口へと向かう。
 最初に浮かんだ心当たりに向かって車を走らせながら、これから向かう先に功がいたなら、話してみようと考えていた。


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