部屋の扉を開けると、自動的に明かりが灯る。
許可している箇所だけは家政婦により整えられてるその部屋に、功が戻って来る事は、今では月に一度あるか無いかだった。
腕に抱きかかえていた美月を、革張りのソファの背もたれに凭れ掛からせるように座らせる。黙ってされるがままになっている美月の顔を隠していたバスタオルを開くと、酷く青ざめた虚ろな表情が目に入った。
顔の傷の具合を確かめるように、張り付いた髪をタオルで拭いながら呼びかけた。
「美月……いったい、何があった」
指が美月の顔に一瞬触れて、その冷たさにぞっとする。身体が冷え切っていた。このままでは拙い、功はポケットから携帯を取り出すと、画面に手を沿わせた。その時――。
「やめて。誰にも言わないで」
美月の冷たく震える指先が、功の手を止めた。それでも功は黙って首を横に振り、もう一度指を動かそうとした。
「嫌……お願い」
「和美を呼ぶ。それに医者にも見てもらう必要があるだろ。話はそれからだ。大丈夫心配するな」
「い……やっ」
突然美月がソファから立ち上がると部屋を出て行こうとした。
「美月、待て」
腕を掴みどうにか止めようとするが、抵抗して振り回す手が功に当たる。何度か美月に叩かれながら、そのまま強く身体を引き寄せ抱きしめた。
「やめろ、わかった。わかったから」
しばらく腕の中でもがいてた美月は、やがて力なくその場に崩れるように座り込んだ。美月を抱きしめたまま、功も床にしゃがみ込む。ゆっくり頭を腕で支えると、抱きしめた全身から身体の冷たさが染み込んで来た。
「誰も呼んだりしないから。とにかく身体を温めて、濡れた服を着替えないと」
そう言って、美月の背中をぽんぽんとあやすように優しく叩く。
そっと身体を離し、張り付いた髪を後ろに掻き揚げてみると、血が固まっていた唇の端の傷口がまた開いたようで、新たな血が滲んでいた。そっとその傷に触れると、美月が身体を震わせる。
赤い血のついた功の指先も、小さく震えていた。
拳を強く握りしめ立ち上がり、部屋の空調を上げてから、ブランケットを取って戻る。
「使ってないから」
そういいながら、床に座り込んだ美月にブランケットを被せて身体を覆う。
「お風呂の準備してくるから、ここにいて。どこにも行くな。いいか」
タオル越しに頭を軽く撫でてから、功は奥のバスルームへと足を向けた。
バスタブに湯を溜め、棚から新しいバスタオルを出し、ボディソープなども新しいものを取り出した。暫く考えてから、まだ着たことのない新しいパジャマや、Tシャツを出しておく。
――流石にこの部屋に女性物の下着までは置いていないな
そのことに気が付き、やはり女性を呼んだほうがいいのではないかと酷く迷った。迷いながら、功は沸きあがる怒りを抑え込むのに必死だった。
洗面台に両手を乗せると、息を大きく吐き出して、少しでも冷静になるよう冷たい水で何度も顔を洗う。顔を上げると、鏡にはひどく強張った顔をした自分が映っていた。
顔を拭ったタオルにもう一度息を吐き出してから、部屋へと戻る。
先ほどと同じ場所に、美月がそのまま座り込んでいるのにホッとした。そうして、これから確かめなければならない事に、酷く不安で憂鬱な気持ちになる自分を鼓舞しながら、その前にしゃがみ込んだ。
「美月……。これから、訊くことに、ちゃんと答えて欲しい」
両手で自分を抱きしめるように身体を丸め小さく震えている美月に向けて、どうしても聞いておかなければならない、一番聞きたくないことを口にした。
「お前をこんな目に合わせたのは、男か?」
答えは返ってこない。だがそれが答えのようなものだ。
「男なら、何をされた……どこまで」
美月の顔が少しだけ持ち上がった。
「どこ……?」
「レイプされたのか」
躊躇いを捨てて一息で問う。美月が目を見開き、功の顔を見つめた。それから口を引き結ぶと目を逸らそうとした。しかし功は、美月の両肩を掴むと顔を自分の方に向かせた。
「大事なことなんだ。わかるな。考えたくもないけど、もしもそうならすぐに医者に処置をしてもらう必要がある。警察にもだ。頼むから、本当の事を言ってくれないか」
強く言い聞かせるように、美月の目を見つめる。やがて美月が小さく首を横に振った。
「本当に?」
確かめるように言葉にしながら、功の身体から僅かに力が抜けた。微かに頷いた美月が、震える唇を開いた。
「……あ、暴れて、逃げたから……だから」
「本当だな」
もう一度確認する。美月ははっきりと頷いて両手で顔を覆った。けれど彼女は泣いてはいなかった。
「嫌なこと、聞いてごめん」
頭にそっと手を載せたとき、バスルームからチャイム音が聞こえた。
「身体が冷え切ってる。俺の部屋のバスルームだけど、ちゃんと掃除はしてくれてるから、とにかく温めないと」
話しながら美月を抱き上げると、バスルームに運んだ。
「本当に、誰も呼ばなくていいか? 女の人が……いる方がいいだろ」
そう尋ねる功に美月は首を横に振って大丈夫だと答えた。運んでおいた椅子に美月を下ろしてから、下着がなかったことを思い出した。
「そのまま、少し待ってて」
そう言って功がバスルームを離れようとすると、美月がハッと顔を上げた。縋るような眼差しが功を見上げるのをみて、傷付いた痛々しいその表情が何を警戒しているのかを悟る。
「大丈夫だ。誰かを呼びに行ったりはしないから」
安心させるようにそう告げると、功はもう一度待ってろ、と言い部屋を出て行った。
急ぎ、手をつけていない由梨江の部屋へと向かい、目的のものを探し当てた功は、すぐに引き返し部屋に戻った。光沢のあるシルクのような袋を美月のバスタオルの上に置く。
「下着。母さんの部屋から持ってきた。あの部屋ほとんど昔のまんまだから。それ、多分新しいのだと思うし間に合わせにはなるだろ」
美月は、恥ずかしそうに顔を伏せた。
「ゆっくりあったまるんだ」
もう一度そっと頭に手を置いて、そう声を掛けバスルームを出ていく。
「……ありがとう」
小さな声が聞こえたのを最後に、後ろ手に扉を閉めた。