本編《Feb》

第二章 二日月1


《第二章》
 香川美月(芙美夏) 高校一年生
 二条 功      大学二回生
 香川淳也      大学一回生
 田邊正樹(高宮正巳)高校三年生


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 今年は空梅雨になるとの大方の予測は外れ、六月に入ってからは雨が降る日が増えている。
 美月は、お弁当を持って、高等部の校舎から渡り廊下で繋がれたカフェテラスに急いで向かっていた。授業の片付けの担当になっている美月をおいて先に向かった友人達が、席を確保してくれている。

 高等部に上がると、外部からの編入組がクラスの四分の一ほどを占めるようになる。この学園は有名国立、私立大学への高い進学率を挙げているため、多少経済的に無理をしてでも高等部に編入を希望する者も多く、かなりの難関となっているらしい。 
 小、中等部からエスカレータ式に持ち上がる生徒達は、あまり編入組と馴染もうとはせず、中にはあからさまに家柄が違うと見下した態度をとる者もいたが、美月にできた初めての友人といえる存在は、そんな編入組の生徒達だった。
 中でも一番仲がいいのは金沢藍で、話すようになった切っ掛けは高等部の入園式、名前の順で隣り合わせになり声を掛けられた事だった。

「ねえねえ、香川さんってさ内部だよね。もしかしてさ、前の生徒会長の身内?」
「え?」
 三年間生徒会長を務めた功が卒業した後、後任に就いたのは淳也だった。この学園の生徒会長は、選挙などではなく成績や普段の生活態度――というのは名目で、実際は最も重視されている家柄により、学園長の指名で決められる。
 多額の寄付を行っている家の子どもが選ばれることも多いが、二条家の子息は特別で、代々高等部入学と同時に会長を務めることが習わしだった。
 淳也は、成績も常にトップでありまた二条家の縁者でもあったため、特に対抗となる生徒もなく、卒業までの一年間、功の後任として生徒会長に選任された。本人が本当はうんざりしていたことを知っているのは美月くらいだ。
「名字が同じだし知り合いかなって。惜しいなぁ卒業しちゃったの。私もの凄く本物に会いたかったのに」
 藍は、そう言って悔しそうな顔をした。
 内部生は、美月が淳也の家に貰われてきた養子だということを知っている。いつの間にか知れ渡っていて、ヒソヒソと噂にしたりするだけだ。こんな風に人からその関係を問われた事がなかったので、美月は一瞬戸惑いを覚えた。
「あの、私、淳ちゃんの妹なの」
「えっ嘘、ほんとにっ」
 大声で叫んだ藍は、周囲の注目を一身に浴びて先生からも注意を受けていた。
「すいませーん」
 顔を赤くして謝る藍を見て、美月は、つい噴き出してしまった。
「もう、ちょっと。びっくりさせないで、っていうか笑いすぎ。っていうか淳ちゃんって……妹とか、もうびっくり」
 ペロッと舌を出してから、そう美月の脇腹を小付いた藍とはその時から友達になり、今では、藍以外の外部から編入してきた数人の友人とも一緒に過ごすようになっている。
 彼女らと親しくなって、皆が功や淳也を知っていることに美月は驚いた。
「あのさあ、わかってないの美月だけだよ。香川さんだけじゃなくてその前の二条さんだって超有名人だったんだから。それこそ隠し撮りした写真なんかも出回ってるんだよ」
「この学園の中でもかなり注目浴びてたはずだよね?」
「多分さ、内部のお嬢様方が美月に冷たいの、そのせいもあるんだよ。嫉妬だね、嫉妬」
「そうそう、その二人のそばにいるのがこんな美人じゃ、誰も相手にもされないって」
 最近では、美月がこれまで内部の生徒達の中に友人もいず馴染んでいなかった事を、藍達もわかっているようだった。ご丁寧に、美月と仲良くする彼女らに色々吹き込む者もいたようだが、藍はそれに怒りはするものの、美月に対する態度が変わる事もなかった。

 大学生になってからは、学校に程近い二条家所有マンションのペントハウスを生活のベースにして殆ど家に戻らなくなった功や、そのマンションと屋敷を行き来して、戻っては来ても深夜や明け方になる淳也。ほとんど深夜にしか屋敷に戻ることのない主――二条永、その永に付き従いほとんど夕食を家で食べることのない香川。
 以前より屋敷で働く者の数も少なくしている今では、あの大きな屋敷の中で夕食を一緒に取るのは、和美と美月だけになることも多かった。
 けれど美月は、時折和美とキッチンに立ち料理を教わったり、学校であったことを話しながら食事をしたり、時には藍達と寄り道をして話し込んでしまい連絡せずに遅くなって叱られたりする、そんな今の生活がとても心地良かった。
 和美は淳也が不在がちなことを時々寂しがっていたが、美月にとっては、由梨江が美月を遠ざけるようになって以来、やっと誰かとゆっくり食事をすることが出来る貴重な時間だった。
 何より、今の美月が和美に聞かせる学校や友人の話は、由梨江に聞かせていたような作り話ではない。昼も夜もご飯を一緒に食べる人がいる、そしてそこに嘘がないことの楽しさは、ほとんど初めて経験するものだったのだ。

 遅れてカフェテラスに駆け込んだ美月に、藍たちが席から手を振る。
「ごめん。先に食べててくれた?」
「私は待とうって言ったんだよ。けど藍がお腹空きすぎて酔う、とか言いだしてさ」
「酔う……?」
「そうそう、お腹すき過ぎたら、ウェーてなってくるアレ」
「えーならないよ」
「私わかるわかるそれ」
 彼女らはケラケラと笑いながら食べかけていた昼食を再開する。
「ほら、美月も早く食べなきゃ、次また実験室へ移動でしょ」
 藍が笑いながら美月のために椅子を引く。わかっていた。他の子達はきっと食べずに待とうとしたのだろうが、美月がとても気を遣うことを知っている藍が、率先して食べ始めてくれたのだ。
「早く食べなきゃ藍に狙われるよ」
 沙織がパスタを巻きながら言うのを聞いた藍が、横から皿のパスタを掠め取り口に入れる。
「狙われてるのは、美月だけじゃないって」
「藍ちゃん、鼻にソース着いてる」
 美月は和美の作ってくれた弁当を広げると、笑いながら藍の鼻をハンカチで拭いてやった。内部生は小学部の頃から、シェフが学園内で作るレストランメニューのようなランチを食べている者が殆どだ。だが、外部生はカフェテラスで簡単なメニューを頼むか弁当を持ってくる者も多く、美月もまた殆ど毎日お弁当を持参していた。
 藍が目を瞑ったまま美月に顔を向けるのを見てまた皆が笑う。いつもの楽しい昼休みだった。
 しばらくそうして食事をしていると、カフェテラス入口の方が騒ついた。

 何事かと振り返った美月は、食堂に入ってくる人物を見てすぐに目を逸らした。そのまま俯き加減で目の前のおかずへと箸先を向ける。
「珍しいね、田邊会長がここでお昼食べるなんて」
 入口に向かって座る沙織がそう言うと、真奈が顔を赤くして興奮した声を上げる。
「ねえねえ、今、田邊さんと目があったよ」
「はいはい」
「ほんとだって。超かわいい。藍も見てみなよ」
「ふーん……ま、私は香川さん派だし、今の会長はあんま好みじゃないから」
 少しだけ振り向いた藍は、無関心そうに答えると、「寧ろ私はこっち」と美月の弁当のおかずをひとつ取り上げてから、食べようとしたその動きを途中で止めた。
「美月、どした?」
 目の前で箸が振られる。美月は、箸を持ったまま固まってしまっていた。
「あーあ……行っちゃった。外のテラスに出て行っちゃったよ」
 真奈が残念そうに言うのを聞いていた美月が、軽くホッと息をついたのに藍は気付いていた。
「ごめん、なんか私ボーっとしちゃってた」
 笑いながら慌ててご飯を食べ始めた美月の箸の進み具合は、明らかにさっきまでよりも遅くなっていた。
「え、何? 美月ももしかして田邊さんがお気に入りとか」
 沙織がおかしそうに話すのに、つい狼狽えてしまう。咄嗟にうまく答えられずにいた美月の代わりに、藍が間髪入れずフォローを入れてくれた。
「食べようと楽しみに取ってたおかずを私に取られたショックで固まってたんでしょ」
 助け舟を出してくれた藍に乗っかり、笑って軽く睨みつける。
「そうだよ。藍ちゃん、私好きなものは後に置いとくタイプなのに」
「私は好きなものから頂くタイプ」
 笑い返しながら、また美月の弁当のおかずに手を伸ばした藍のお陰で、さっきの沙織の発言はもう曖昧になって流されてしまっていた。

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