葬儀の会場で遺族席に座りながら、功は、ほぼ末席に近い席に腰を下ろした俯き加減の美月を、時折そっと見遣っていた。
昨夜、通夜の席にはじめて美月が顔を見せたのは、もう今日に日付が変わった深夜二時にはなろうという時間だった。
一般の弔問客が引けた広い部屋の中。
棺の側の席に座っている身内は功だけで、由梨江の夫であり喪主の二条永は、葬儀の打合せや仕事の指示のため席を外していた。
数人の親族達が、なぜか用意された控室ではなく、同じ部屋の少し離れた場所で固まって過ごしていて、いつもとは違う雰囲気に遅くまで起きて遊んでいた子どもたちが、いい加減部屋へ戻って寝るよう親から注意されている、そんな深夜のことだった。
淳也に付き添われた美月が棺が安置された広間に入って来ると、親族の者達は急に静かになった。好奇に満ちた、中にはあからさまに蔑むような視線を美月に向けながら、やがてまた言葉を交わし始める。
美月は、真直ぐに遺影を見つめながら部屋の中央を進み、功の前で立ち止まると、そこで頭を下げた。
その時、親族たちの中から低いダミ声が聞こえた。
「あの小娘か、二条家に入り込んでるドブネズミは」
それは、功の伯父――高志の声だった。
「ちょっと、お兄様、聞こえるわよ」
「聞こえたって構わないじゃないか。まったく、由梨江さんもあんなどこの馬の骨ともわからんような娘をこの家に入れるなんてな」
「やめてったら、お兄様」
ざわつく中から、どこか可笑しそうに口先だけで止めているのは、叔母の良江だろう。
父の兄、高志は、二条本家の長男であり本来は当主になるべき立場にありながら、その素行の悪さに見切りをつけた祖父が、最終的に次男である父を後継者に選んだといういわく付きの男だ。
今もまた、葬儀という場にそぐわない派手な化粧をした年若い妻を連れ、喪服のボタンを外しネクタイを弛めただらしのない身なりで、じろじろと不躾な視線を美月に送っている。
ドブネズミはお前だろ――そう思いながら、功は目の前に固い顔で立ち竦む美月から目を逸らし、その背後で伯父を睨み付けている淳也を鋭く呼び付けた。
「淳也」
名を呼ばれ、まだ怒りの納まらない強張った顔をこちらに向けた淳也に、顔を微かに動かし意志を伝える。もう一度伯父を睨み付ける事を忘れなかった淳也は、青ざめた表情の美月の背中に手を当てながら、小声でなにか言葉を掛け、棺の方へと押しやった。
伯父はそれからもしばらくは謗り事を繰り出していたが、じっと棺の前に佇み微動だにしない美月に、他の親族達もやがて関心を失くしたように、自分たちの話に戻っていく。
功は、雑音をやり過ごしながら、動かない背中を見ていた。
美月は今、どんな気持ちで棺の前にいるのだろうか。
母の最期の言葉を思い出すと、遣り切れない思いが込み上げてくる。
美月が小学校高学年に差し掛かった頃から、由梨江は、彼女が自分の本当の娘ではないと、時折気が付くようになっていた。
二年ほど前、美月が中学生になった頃にはその傾向は顕著になり、はっきりと他人であると認識していた。
母にとって美月は、この二年の間、我が家に住み着いた娘と同じ名前の見知らぬ他人であった。
自分の産んだ娘――美月を亡くしてしまったことは変わらず記憶の隅に追いやられたまま、心が混乱した由梨江は、美月が自分のために、由梨江が正気を保ち生きていられるようにと、ここに美月として引き取られてきたことを、知ろうとはしなかった。
時には美月に、私の娘をどこへやったのだと詰め寄り、また精神状態が酷く不安定な時には、美月を娘に取り付いた悪魔だと罵り、その悪魔を追い払うためだといって鬼のような形相で手を挙げることさえあったのだ。
それまで、自分の側において、ほんのいっときでさえ離れていたくないと、学校に遣ることさえ抵抗するほど慈しんでいた子を。
それを周囲の者が知ったのは、異常に気付いた和美の進言で、父が、母を強制的に入院させるという事態に至ったからだ。
自分の居るべき場所を少しずつ失いながら、美月はその身に起っている事を、決して誰にも知られないように振る舞い続けていた。
美月を棺の前に置いて戻って来た淳也も、今は功の側に立ち、美月を見つめている。
「――淳也」
そろそろ二〇分は経とうかという時が過ぎ、功は淳也に呼びかけた。美月の様子を見てこいというつもりで。その時、不意に美月が振り返った。口を引き結び、視線をこちらに向けている。
駆け寄った淳也が、美月と少し言葉を交わしてから、功に呼びかけた。
「功さん」
億劫そうな素振りで立ち上がると、功は二人の側に歩み寄り、背の高い自分を見上げた美月を、視線だけ動かして見下ろした。
「何?」
「あの、ママ……奥様に」
ぎこちなく美月は言い直す。ここでの遣り取りに、親族連中が聞き耳を立てていることに、美月も気が付いたようだ。
しかし、ここまで間近に美月を見るのが久しぶりだった功は、内心、戸惑いを覚えていた。