本編《Feb》

プロローグ2

 この場で彼女に現実を受け止めさせることは難しい。しかし、だからといってこの子を連れて帰るわけにはいかない。そもそも、この子は一体どこの子どもだろうか。一人で遊んでいるところをみると、この近所の子どもなのだろう。小学校に上がる前位に見えるが、幼稚園などから帰って来て一人でここで遊んでいたのだろうか。
 一目で全体を見渡せる程度の小さな公園には、その女の子以外には人影は見えない。どうしたものかと香川がしばらく考えあぐねていると、その間に彼女が子どもを車の方へ連れて行こうと、歩みを進め始めた。

「奥様、お待ち下さい」
 香川の声に足を止め振り返った彼女は、怒りも露わな強張った顔を見せている。
「まだ何かあるの、今度は何を言って私と美月を引き離そうとするの」
「いえ、……そうではありません。申し訳ありませんでした。先ほどはおかしなことを申し上げてしまいました」
 少しずつ近づきながら、警戒を解くよう出来るだけ穏やかな口調で言葉を掛ける。しばらく香川を見つめていた彼女は、そっと息を吐くと、まだ少し強張った顔を俯け自分が手を握る女の子を見つめた。
「もういいわ。早く帰りましょう」
「しかし奥様、美月様は、いらっしゃらない間どなたかにお世話になっていたはずです。ですから、その方を探してお礼を申し上げ、美月様をお連れするとお伝えしませんと、きっと心配されるのではないでしょうか」
 そういうと、彼女はしばらく真意を図るように香川を見つめていたが、しばらくの逡巡の後、もう一度女の子を見つめた。
「……それは、そうね。美月、あなたをここに連れてきた人はどこにいるのかしら」
 彼女の問い掛けに、女の子は戸惑ったように、大人二人の顔を見比べている。
「奥様、とにかく私は美月様をお連れして、挨拶を済ませて参ります。かなり冷えて参りましたから、どうぞ先に車に戻っていらして下さい」
 苦しい理由で何とか彼女をこの場から引き離そうと試みるが、美月を置いて先に行けという言葉に、また彼女の顔が強張るのがわかった。
 ――弱ったことになった……
 そう思ったとき、遠くから誰かを呼ぶ声が聞こえた。二、三人程の大人の声が近付いてくる。すると、その女の子がビクッと身体を揺らした。
 ――そうか、この子を迎えに来たのか
 間もなく、香川達が公園に入ってきたのとは逆の入口に、エプロンをつけた女性二人とジャージ姿の男性一人が現れた。

 「ふみっ」
 彼らは、こちらに視線を向けると、そう叫びながらそばに駆け寄って来た。女性の一人が、しゃがみ込み女の子の両肩を掴む。
「ああ良かった。ふみ、探したよ」
 男性ともう一人の女性は、一人で遊んでいた子どもを気遣い声をかけてくれたのだろう親切な大人に対する、至極まともな礼儀をわきまえた態度で、先ずは香川達に頭を下げた。
「申し訳ありません。ちょっと目を離した隙に一人で出て行ってしまって」
 しかし、強張った表情を見せたままふみと呼ばれた女の子の手を離さない女性と、とっさに返事をし損ねてしまい返す笑顔が不自然にぎこちない香川の反応に、何かおかしな空気を感じたのか、怪訝そうに顔を見合わせた。
「すみません。この子はうちの施設の子なんです。先ほどから姿が見えなくて、ちょうど探していたところでした」
 男性の職員が、二人に向かって声を掛けてくる。香川は、少しほっとしながら彼らを見遣り頷いた。
「そうですか、一人で公園で遊んでいたので……」
 そうして、視線を合すようにしゃがみ込んでから、ふみを見つめて問いかけた。
「きみは、この人たちのところから来たの」
 少しだけ視線を泳がせたふみは、自分を見つめる大人達の視線に気圧されたように、ほんの少し俯いた。
 それを肯定と受け止め、立ち上がろうとしたとき――

「あなた方は何を言っているの」
 そうヒステリックに叫ぶ声が響き、ふみの手を握り締めていた彼女が、小さな肩に置かれた女性の手を引き離すように振り払った。
「帰りましょう、美月。こんなところに一人でいるから、おかしな人達が寄ってくるのよ」
 そう言うと、ふみの手を引き足早にその場を離れて行こうとする。
 香川以外の三人は、しばらく呆然としていたが、我に返ったのだろうすぐに二人を追いかけた。
「ちょっと待ってください」
 ふみは、後ろを何度か振り向き、自分を迎えに来た大人三人を見ながらも、手を引かれている事にはさして抵抗をみせていないようにみえる。すぐに追いついた女性が、彼女の正面に回り込み行く手を阻んだ。
「待ってください。あなた、ふみをどこに連れて行くつもりですか」
 硬い声で彼女に問い詰めているのが聞こえてくる。もう一人の男性も、同様に彼女の前に立ち塞がった。

「あなた方は、一体あの子をどうするつもりだったんですか。もし……ただの親切でなかったのなら、警察を呼びますよ」
 香川の側に立っていた女性が、強張った表情をこちらに向けてくる。問い詰める口調の厳しさに、香川は小さく首を横に振りながら答えた。
「申し訳ございません。あの方は、実は半年程前、ふみさん位の歳のお嬢さんを亡くされたばかりで」
 その言葉を聞くと、女性の表情から少し険しさが抜けるのがわかった。
「私があの方を制止している間に、ふみさんをすぐに連れて帰ってもらえますか。あの方は……まだ現実を受け止められずにいるのです。今この場であの子は娘ではないといくら口で説明しても、理解することが出来ない」
 ふみを抱きしめ、ふみ――いや、美月と、そして自身に襲い掛かる脅威から、自分たちを守ろうと必死に周囲を睨み付けている彼女を見つめながら、香川の顔に苦渋の色が浮かぶ。
「……そういうこと、ですか」
 そばにいた女性は、続く言葉を見つけられず息を飲み込んだようだった。

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